親子ボードゲーム会にしたい!訳(2)
そんな日々を過ごしながら、ある時ふとこんなことを思いました。
言葉やもののやり取りって、な〜〜んにも決まってないものなのだろうか?と。
例えば、挨拶されれば同じように返します。「〜?(疑問形)」を投げかけられれば、さらに疑問形を投げることは普通せず、先の疑問に対する返答をします。贈り物をされればお礼を述べ、激励されれば感謝を伝え…
そんな風に「ある程度の」決まりというか法則というか…そういったものはあります。ただ、ものは考えようなどという言葉もあるように、同じことをされてもその考え方やその返し方は個人差があったり、ケースバイケースといったややわかりづらい判断基準であったり…と、様々な要因もあって、いつもいつも版で押したようにはならない。
わが子はきっと、そういういい意味での「曖昧さ」がわからず、固まってしまうのではないか…。
ならば「遊びにも決まりがあるものなら、わかるのではないか。やり取りも手順化され、結果が目に見えやり取りが決まっているなら、わが子にもできるのではないか」と思いました。それにピッタリなのが、ボードゲームだったのです。
かつては私も小学生、その頃はデジタルゲームとしてはファミコンシリーズがあったものの、やはり家族で楽しく遊ぼうとなるとボードゲームになるのでした。近所の家庭からもう遊ばないからとお下がりでいただいた「家庭盤」に始まり、オセロ、将棋、カードゲーム(ババ抜きや7並べなどではない、トランプを使った遊び)、お正月になれば百人一首に花札、双六…と…祖父母とともに暮らす3世代家庭ならではの、バリエーションぶりでした。大人になってからは独身のときには麻雀やチェスも覚えたり、それだけでない様々な外国のボードゲームも楽しみました。
私もいつしか、忘れていたのです。
あの楽しさなら、楽しくない訳がない、そしてわが子と一緒に楽しく過ごせるんじゃない?と、光がさしたように感じました。
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